ノンセクションのかけら

広大無辺なチラシの裏

初代マツダ・ファミリアだよ

やぁ、初代のファミリアだよ。1963年9月生まれだよ。名前の由来は、イタリア語の「家族」ということばだよ。いわゆる「モータリゼーション」の時代が来ていて、ぼくに乗って家族でドライブに行って欲しい、という願いを込めたんだ。今はもうそういうことやってられる時代じゃないかもしれないけどね・・・・・・。

 

もともとわが東洋工業オート三輪が主力の会社だったんだけど、ぼくが生まれた時代には、主力が軽自動車や小型トラックに移りつつあった。で、ぼくが開発されるときに、キャロルちゃんっていう軽自動車が一緒に開発されていたんだ。だから初代のキャロルちゃんとぼくはいわば「同期」だね。でも、世に出たのは、キャロルちゃんのほうが早かった。悔しいな。

 

カローラの生みの親」であるトヨタ自動車長谷川龍男さんは、日産のサニーくんよりもぼくのほうを高く評価してくれていたみたいだ。カローラくんとサニーくんってほぼ同時期に出たじゃん? ぼくのセダンのほうが先行して販売されていたから、長谷川さんはサニーくんに対する脅威よりも、ぼくに対する脅威を深刻に思っていたとか。

でも、わが東洋工業ロータリーエンジンの開発を優先させていたから、ぼくに十分なリソースが回ってこなくて、カローラくんに売り上げで完敗しちゃったんだ。もちろん、ロータリーエンジンを開発するのは地球規模で凄いプロジェクトなんだって理解してたから、ぜんぜん恨んでないけどね。

 

たとえ長谷川さんが「どうしてマツダさんはファミリアに力を入れないんだろう?」と思ってくれていたとしても、うちはうち、よそはよそ。

初代トヨペット・コロナの嘆き

「やあわたしが初代コロナだ。まず最初にわたしが発売されたころの時代背景から話したいと思う」

 

「タクシーの市場(しじょう)の話。1950年中盤、中型タクシーはわがトヨタ自動車の大先輩のクラウンさん、小型タクシーはにっくき日産自動車ダットサン・110/210が、ほぼ市場を支配していた。それにしても日産の長ったらしい車名はなんとかならんのか」

 

「ともかくダットサンなんとかに対抗するために、わたくしトヨペット・コロナ1世が作られたのであーる」

 

「しかしながら、哀しいことに、哀しいことになあ、おれはプロトタイプみたいなもんだったんだよ。2代目のT20につなげるためのプロトタイプだったんだ。ザクⅡができるまでのつなぎみたいなもんか。ちょっと違うか」

 

「それでもおれはマーケットに出たんだ。なんでかっていうと、タクシー業界が『T20が完成するのを待てねえ!!』って、おれの運用を催促したんだ」

 

「じつはおれの身体は寄せ集めなんだ。生産中止になったトヨペット・マスターのボディプレス、クラウン先輩の足回り、そして大ベテランのS型エンジン……」

 

「取り柄は『モノコック構造』だよ。今のトヨタ自動車東日本が研究を進めていたんだけど、モノコック構造が量産型の乗用車ではじめて採用されたのがおれなんだ。重量が1000キロ未満になったのもおれが最初だそうだ。当時としてはスマートな体型だったんだな」

 

 

1957年7月におれは市場に出た。カーマニアの連中はおれの形状を見て『ダルマコロナ』とかいうあだ名をつけやがった。つけあがりやがって!!

 

「けっきょく、スペックはダットサン(210)に劣っていたようだ。所詮T20までのつなぎだからな!! 末期の1959年10月にはエンジンがP型になったおかげで、最高速度が時速100キロを超えた。たしかに走っていて疾走感があったな!!

夢のビジネス特急「こだま」

「こだまさんこだまさん」
「はい」
「あなたが走り始めたのはいつですか」
昭和33年11月1日です」
「あなたは何系ですか」
151系です」
「あなたはどこからどこまでお客さんを運んだのですか」
「東京から大阪または神戸まで」
「あなたは最高時速何キロまで走れましたか」
「時速110キロまでです」
「東京から大阪まで何時間かけて走りましたか」
「最初は6時間50分でしたが、最終的には6時間30分で走り抜くことができました」
「途中の停車駅を教えてください」
横浜と名古屋と京都です」
「ずいぶん少ないですね」
ビジネス特急ですから!
「昭和36年のいわゆる『サン・ロク・トオ』でなにか変化はありましたか」
「二往復とも大阪発着になったことぐらいですね」

 

「言いづらいかもしれませんが……クビを言い渡された理由はなんでしたか?
東海道新幹線ができるからと……引退したのは昭和39年9月30日、翌日に東海道新幹線の『ひかり』くんと『こだま』くんがデビューしました」

wikipediaで「兵庫県のゴルフ場」カテゴリのついている12場

 

芦屋カンツリー倶楽部

芦屋市
メンバーシップ制
1952年開業
フェアウェイが狭い

有馬カンツリー倶楽部

三田市
メンバーシップ制
1960年開業
丘陵かつ林間コース
冬でも芝が緑のまま

有馬ロイヤルゴルフクラブ

神戸市北区
メンバーシップ制
1972年開業
ロイヤルコースとノーブルコース
87年日本オープン
サントリーレディスオープンを6回開催

小野ゴルフ倶楽部

小野市
メンバーシップ制
姉弟コースに広野ゴルフ倶楽部
1961年開業
69年日本オープン

広野ゴルフ倶楽部

日本を代表する名門コース

三木市
1932年開業
敷地内にJGAゴルフミュージアム
日本プロ3回、日本オープン5回開催

加古川ゴルフ倶楽部

加古川市
メンバーシップ制
1957年開業
2007年関西オープン

北神戸ゴルフ場

神戸市北区
パブリック制
東・西・南の27ホール
1967年開業
丘陵コース

神戸ゴルフ倶楽部

日本最古のゴルフ場

神戸市灘区
六甲山
1903年開業
メンバーシップコース
冬季クローズあり
在留外国人を対象として開業
パー61
兵庫のゴルフ場の「御三家」
キャディーは全部男性
学生のキャディーが多い

宝塚ゴルフ倶楽部

宝塚市
メンバーシップ制
1926年開業
70年と09年の関西オープン

鳴尾ゴルフ倶楽部

神戸・広野とともに「御三家」
川西市
メンバーシップ制
1920年開業
日本初の本格的ゴルフコース
28年日本プロ
36年日本オープン

花屋敷ゴルフ倶楽部

三木市
1959年開業
メンバーシップコース
ひろのコースとよかわコース

よみうりカントリークラブ

西宮市
1961年開業
メンバーシップコース
パブリック制コースもある
ゴルフ日本シリーズの大阪ラウンド
よみうり遊園
よみうりランドの運営ではない

1997年のJリーグについて

ヴィッセル神戸、参入
・2シーズン制
・W杯最終予選があるので早めに閉幕
・最終予選とダブってスタジアムが空(す)く
・1stステージ:優勝鹿島、2位フリューゲルス
・2ndステージ:優勝ジュビロ
・チャンピオンシップはジュビロが勝利
・シーズンMVPは、ドゥンガジュビロ磐田
・得点王エムボマガンバ大阪
・新人王QBK柳沢(鹿島アントラーズ

天皇杯決勝は鹿島VSフリューゲルス鹿島が優勝

2000年のJリーグについて

J1総合優勝:鹿島アントラーズ
J2総合優勝:コンサドーレ札幌

レイソルは年間勝ち点数なら1位
・でも1st/2ndステージでどっちも優勝できなかった
・だから年間3位
・降格はパープルサンガフロンターレ
・チャンピオンシップ アントラーズVSマリノス
・チャンピオンシップはアントラーズが圧勝

・「ベルマーレ平塚」が「湘南ベルマーレ」に改名
・前年降格の浦和レッズ僅差の2位で自動昇格
トリニータがレッズと勝ち点1点差の3位
ヴァンフォーレが25連敗の泥沼、ぶっちぎりの最下位

・MVP、中村俊輔
・得点王、ゴン中山
・新人王、森崎和幸サンフレッチェ

・2001年からの横浜FC加入が決定

1991年の日本国内での出来事で興味を惹くもの

首相:海部→宮沢喜一

 

 

 

1月

銀行のCMが解禁される
湾岸戦争勃発

3月

成田エクスプレス、発進

4月

東京都庁が丸の内から西新宿に移転
協和銀行埼玉銀行合併、「協和埼玉銀行」誕生
(翌年には「あさひ銀行」に)
大分県ハーモニーランド開園

5月

信楽高原鐵道列車衝突事故発生
・同日、千代の富士が引退

6月

雲仙普賢岳火砕流発生
長野オリンピックの開催が決定!(98年)
東北新幹線が東京駅に乗り入れる

7月

・『悪魔の詩』訳者殺人事件(筑波大)
大乃国引退

8月

世界陸上in東京

9月

SMAPがデビュー
・『フジ三太郎』完結(最期は朝日新聞朝刊に掲載)

10月

・『フジ三太郎』完結の翌日、朝日の朝刊4コマの新連載『となりの山田くん』開始(作者:いしいひさいち 現『ののちゃん』)
海部総理大臣が辞意を表明

11月

・海部首相の退陣を受け、宮沢喜一内閣が発足
営団地下鉄南北線(現:東京メトロ南北線)開業
宮沢りえのヌード写真集『Santa Fe』が発売
(撮影:篠山紀信

12月

橋本大二郎高知県知事になる→史上初の戦後生まれの知事