ノンセクションのかけら

広大無辺なチラシの裏

初代トヨペット・コロナの嘆き

「やあわたしが初代コロナだ。まず最初にわたしが発売されたころの時代背景から話したいと思う」

 

「タクシーの市場(しじょう)の話。1950年中盤、中型タクシーはわがトヨタ自動車の大先輩のクラウンさん、小型タクシーはにっくき日産自動車ダットサン・110/210が、ほぼ市場を支配していた。それにしても日産の長ったらしい車名はなんとかならんのか」

 

「ともかくダットサンなんとかに対抗するために、わたくしトヨペット・コロナ1世が作られたのであーる」

 

「しかしながら、哀しいことに、哀しいことになあ、おれはプロトタイプみたいなもんだったんだよ。2代目のT20につなげるためのプロトタイプだったんだ。ザクⅡができるまでのつなぎみたいなもんか。ちょっと違うか」

 

「それでもおれはマーケットに出たんだ。なんでかっていうと、タクシー業界が『T20が完成するのを待てねえ!!』って、おれの運用を催促したんだ」

 

「じつはおれの身体は寄せ集めなんだ。生産中止になったトヨペット・マスターのボディプレス、クラウン先輩の足回り、そして大ベテランのS型エンジン……」

 

「取り柄は『モノコック構造』だよ。今のトヨタ自動車東日本が研究を進めていたんだけど、モノコック構造が量産型の乗用車ではじめて採用されたのがおれなんだ。重量が1000キロ未満になったのもおれが最初だそうだ。当時としてはスマートな体型だったんだな」

 

 

1957年7月におれは市場に出た。カーマニアの連中はおれの形状を見て『ダルマコロナ』とかいうあだ名をつけやがった。つけあがりやがって!!

 

「けっきょく、スペックはダットサン(210)に劣っていたようだ。所詮T20までのつなぎだからな!! 末期の1959年10月にはエンジンがP型になったおかげで、最高速度が時速100キロを超えた。たしかに走っていて疾走感があったな!!